時間とお金と心を自由にしたいと思ったきっかけ

ちょっと昔話をします。
育った家の話です。

教育熱心な両親でした。
医学部卒ながら「薬害を防ぐ」と外資系製薬会社に勤務した父と、薬学部卒で専業主婦の母でした。

母の「お父さんは世の中の役に立つ仕事をしているのよ」という言葉に影響され、「世の中に役立つ人になりたい」という思いをもった子供でした。
小さな頃は両親のことが大好きで「お父さんみたいになりたい」と思ったものでした。

そう、教育熱心な両親でした。
「お父さんは会社で仕事。あなたの仕事は勉強。」と言われ、学力至上主義。

机の前に座ってないと「勉強しなさい!」と黄色い声が飛んでくる。宿題が終わってようと関係ありません。
父親も学歴を重視していました。

当時としては珍しくお受験(小学受験、中学受験)もしました。
残念ながらどちらも落ちましたが。。

受験に落ちて、親に申し訳なく思っていた小学生。
3年生ころから中学受験の塾に行くことになりました。
長男ということもあり、期待を一身に受けていたのです。

だんだんと学校の友達や近所の子らと遊べなくなり、5年生の頃には毎日塾通い。
テレビも制限され、友だちとお祭りに行くのも禁止。息抜きもできない。

苦しかった。
小学生のうちに「ストレス」という言葉を覚えたことを記憶しています。

自由が一切ない奴隷だと感じていました
「楽しみは悪」と言わんばかりに、
やりたいことを禁止され、やりたくないことをやらされる。

八方塞がりでした。

そのうち、親が望む勉強は大嫌いになり、親が禁止することばかりやりたくなっていました。
そんな自分は間違った人間、ダメな子なのかもしれない、とまで思うようになりました。

自分の苦しい気持ちは誰も聞いてくれず、自分が楽しいことや好きなことは徹底して否定される。

自分自身が直接否定されることこそありませんでしたが、やりたいこと好きなこと、楽しそうなことを片っ端から否定されていたので、言いたいことを言わなくなり、塾をサボることもありました。

外ヅラと本音が別れていったころかもしれません。

母は勉強を手伝ったり送り迎えをしてくれたりしていたこともあり、
期待に添えない「本音の自分」はダメで悪い子なんだ、と思っていました。

そして中学受験も合格とはならず、親に迷惑かけた思いはさらに強くなったのでした。
自己否定的な不自由人ができあがった時期だったのかもしれません。

そんな「生きづらさ」を感じながらの中学・高校生活でしたが、だんだんと身体も強くなり、自分の考えも育ってきました。
「人生、こんなに生きづらいのはなんか変だよ??」と思うようになり、だんだんと親や社会の偏った価値観も見えるようになってきました。

親や先生の建前と本音も見えてきて、自分で納得しないことは鵜呑みにしないほうがいいと学びました。
常識を疑うようになり、自分で本質や真理を探っていかなきゃダメだと思うようになったのがこの頃です。

とはいうものの「社会」というものがよくわからなかったから、その後も社会に学び、つまはじきにならない程度に適度に合わせて適度に反抗しながら生きていました。

「24時間戦えますか?」という栄養ドリンクのCMが流行った頃に社会人になり、「企業戦士として働くことこそ善」という価値観でいました。

業務改善およびシステム構築のコンサルタントとして、数年単位のプロジェクトで仕事をし、完了させていく仕事は学びと刺激がありました。
しかし、いつも時間に追われ、稼いだお金もストレス解消に飛んでいく、という有様。

十数年繰り返すうちに満足できなくなってきました。
自分としては、やり甲斐を感じられなくなっていたのでした。

一方、子供の頃の「世の中に役立つ人になりたい」は、この頃にはもう少し具体的になっていました。

幼少期からの生きづらさや世の中に対する違和感の根本原因は、「人に優しくない」ということでした。だから、「人に優しい社会」への貢献が自分にとってのやり甲斐になっていました。

自分の意識成長や癒やしのためもあり、自己啓発や人間心理の学びを深めたのもこの時期です。

コンサルティングの仕事でもいつかはやり甲斐につながると思っていたものの、そろそろ直接人に働きかけたい、と思うようにもなりました。
また、不自由な自分の意識を解放するのにも役立ちそうだ、という思いもありました。

そしてしばらくして、15年のコンサルティング生活を終え、キャリア変更をしました。
自分にとって大切なことを仕事にする、というキャリア変更です。

トラウマ解消のヒーリング、そしてカウンセリングを仕事にしたのです。
二人の小さな子供もいたので非常識な選択だったかもしれません。
しかし、これが功を奏しました。

クライアントが本来の自分に気づき、自由になっていくお手伝い。
自分にとって大切なことだから自然に熱がこもる。
意欲も湧くし、疲れない。学びも早い。力がつくから、もっと価値提供できるようになる。

自分が大切だと思うことに時間とお金を使っているから「やらされ感」がありません。自由です。
毎日が楽しく、消耗することがありません。ストレスが激減しました。
ストレス解消にお金が飛んでいくこともなくなりました。

ビジネスを続けていくと課題にもぶつかります。

例えば、
価値交換の流れがスムースでないと、長続きしません。
提供価値に見合った価値を受け取るには自己肯定感が低いままだと受け取れないから、肯定感を上げる課題に取り組む。

ビジネスとして価値提供するなら、受け取る価値は「お金」なので、「お金は汚い」という偏見に取り組まないといけません。

でもこうした取り組み自体が、自己否定や不自由な囚われから自由になる機会で、自分を自由にしてくれます。

このように自分にとって大切なことだけをできるように変わっていったのです。
こうしたことを繰り返すうちに経験が変わり、価値観が変わり、いつしか自由を感じ、自分を好きになっていました。

「人生、こうであるはずだよ」と思春期に思っていた、意義深く自由な人生を歩けるようになりました。
社会貢献と呼ぶにはまだ影響力が弱いので、さらに仲間を増やしたいのです。

自分にとって大切なことが何かわかっていて、それにエネルギーを注ぐ。
そこから生まれる価値を分かち合う仕組みと流れをつくっている。

それらを通じて、時間とお金、そして心の自由が広がる。
そんな自分を好きにならない人はいないでしょう。

そんな「自己肯定的自由人」の仲間です。

無意識の囚われから解放されて、心を自由にすることで、
自分にとって本当に大切なことがわかります。

先にも述べたように、僕は自己否定的でした。そして不自由人でした。
そしてそういう人たちに囲まれてもいました。
だから、その弊害をよく知っています。

不自由な人は自由を憎みます、妨害します、強がります、我慢します、優しくできません。

僕はずっと不自由でしんどかった。だから簡単に「しんどい」という人間が許せなかった。
優しくなかった。優しくありたいのに優しくできなかったんです。繊細さを失っていました。

不自由だとナイーブな感性ではいられない。優しく繊細でいられない。
不自由な人は周りにしんどさを強いるのです。強いずにはいられない。
自分がしんどさを我慢しているから。

そうなると周囲の人間にしんどさ、不自由さが連鎖する。
こんな連鎖はもう終わりにすべきだと思うのです。

だから自由になりましょう。
それが世界を変える唯一の確かな方法だから。

「自己肯定的自由人」は、意識が世界を創造していることを知っています。
それに対して健全な責任感を持っています。
自分は被害者ではない。自分で創造している。だからより良いように変えられる。

この意識が芽生えれば、「今だけ金だけ自分だけ」より「共存共栄」の発想の方がより合理的だとわかります。
世界は進化の段階にさしかかってるとは思いませんか?
自分が自由になることで「人に優しい」世界に貢献しませんか?