会議で誰かが話しはじめた瞬間に、
もう自分の中で相手とのポジション取りが決まっていることがあります。
あるいは、メールを読み始めた瞬間にもう決まることもあります。
この人より自分のほうが分かっている、とか、
ここは押さえておかないと、とか。
言葉にするほど明確にはなっていない。
それでも姿勢とか態度、息の詰め方とか、それくらいのレベルで変化が起きている。
相手がまだ何も言い終わらないうちに、です。
そんなことはありませんか?
僕はこれを長いあいだ、性格の問題だと思っていました。
負けず嫌いなんだろう、と。
でも、よく見るとおかしなところがある。
ポジション取りは、相手を見てから始まってるのではありません。
相手が話すより前に始まっていました。
ということは、
ポジションを取ろうとしている先にいるのは、
目の前のリアルなその人ではない。
自分が前もってイメージしたその人の虚像です。
こちらを値踏みしてくるかもしれない人。
侮ってくるかもしれない人。
そういう虚像を先に置いて、その像に向かって身構えている。
身構えたまま話を聞くので、聞こえてくる言葉は、
ぜんぶそのイメージ像に合うように解釈されていきます。
やっかいなのは、これがうまく機能してしまうことです。
先に構えておけば、たしかに傷つかずに済む。
だから続けてしまう。
うまくいくから、疑いもしない。
一種の誘惑ですね。
つい乗ってしまう、乗ったほうが気持ちが楽だから。
朝、起きたときからもう始まっています。
今日会う人のことを考えた時点で、
イメージ像はセットされ、ポジション取りが始まっている。
気づいたところで、すぐに消えるものではありません。
ただ、一日のうちに何度か、こう思い出すことはできます。
いま自分が反応しているのは、この人ではなく、
自分が置いたイメージ像のほうかもしれない。
それだけで、相手の輪郭が少し変わって見えることがあるものです。
これもかつて確立してしまった「自我」の機能(はたらき)のひとつです。
僕も、いまだに出ます。会議の前に、もう構えている自分に気づく。
回数は減りました。気づいてから緩むまでの時間も、短くなりました。
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